こんにちは✨かずこです( ^ω^ )
お正月も終わって、早2月
今週の祝日は、私が摂理に来て(証を受けて)ちょうどマル三年でした。
御言葉の意味がよくわからず、大変に思ったときもありましたが、「しかし、まず3年は!」と思ってもがきながら過ごしてきました。
今週の主日は実家に帰省して地元の教会で礼拝を守りました。
年に1、2回地元の聖殿を訪問しますが、普段交流はないけれど、地元メンバーはやはりとても尊いです。
メンバーにとって一週間の中で最も核心的で大切な礼拝の時間。御言葉が本当に「自分の答え」として、私だけに向けられた「神様からのメッセージ」として受け取れたときは最高に嬉しい。
だから、この時間のために準備する人はすごくすると思います。私も祈りながら前日、当日の朝を準備するわけなんですが、、
今回は、
昔の習慣が出てくる
神様のことを考えにくくなる。
残念なことにそんな感じでした。礼拝中も途中吐き気がし、トイレにダッシュすることに。冷や汗を流しながらうめいていました(;Д;)このときは自分の内側にある汚いものを魂で感じ、それが肉にも伝わって気持ち悪くなった感じでした。本当に霊・魂・肉は繋がってると感じるしかなかったです。
礼拝後、メンバーのみんなと読書大会をカフェでしました!
久々に世の中の本を読みましたが
お借りしたの本のテーマが
「フリーズする脳」
私はマル2年、ほぼ人と会話のない生活をし、うつ病を患ったりしたことあるのですが、、
それによって
・ものを記憶できない・人と会話する気がない、・文字を読めない・複数の人数で話してる内容がわからない・話の意味を理解できない・何を言えばいいか分からない
などなどの症状が出るようになりました。
今もたまに「脳のフリーズ」を感じながら生活していることもあり、この本を選んだ訳です。
どうして、そういう状態になるのか、どういう取り組みをすればいいのか教えてくれていました。
筆者いわく、脳はいつまでも若々しさを保つことができるんだけれども、それが難しくなっている原因として、、
①現代社会を生きる中で、とにかく言われたことを言われた通りに反射的にすればいいという思考
②自分が何かについてよくわかって人に説明することができる程度に知っていてこそ「知る」という意味である。しかし、インターネットをちょっと見てわかる程度ことが「知る」という意味がかわってきてしまいになってしまい、「知る」ための掘り下げ、試行錯誤の伴わないかなり低い次元になったしまったこと、、
等書かれていました。
つまり、もともとは自分の「頭」を使ってしていたことを、環境の要因や時代の変化でしなくなってしまい、いざって時に頭が動かなくなるんだと、書かれていていました。
なるほど。確かに、もともと私は、分からないことがあればとことん考えて意味を理解するタイプでしたが、そうすると、世の中でたーくさん痛い目にもあったので、もう問題が溶けなくてもいいや~と思ったのか、自分の頭を使うことをやめてしまっていたような気がします。
「効率的」な生き方が嫌いだと公言しながら学生時代まで不器用に生きてきましたが、いつの間にか、「不器用」なところを隠して、大切な問題に向き合わなくなってしまっているように感じます。
もう少し読み進めると、上に書いたことと繋がるような「自分のことだ」、と思うところ発見。
「なんでもいいから、目標をもって自分の頭で解決していく、受け身的な生活から抜け出すために根本的に必要なこと・・(抜粋要約)」
御言葉で創造目的も知って、目的をもって生きているつもりだったけど、わかったつもりになっていただけだったし、神様が全部導いてくれるからもーおまかせ!のような「受身」の姿勢でどことなく生きているんだなぁと気付かせてもらいました
人生の答え、真理は全部、牧師先生が教えてくれました。
だけど、その「真理」も自分が使って、自分自身をしっかり作ってこそ価値があるけれど、それをしないならその目の前にある「真理」も全くなんの価値もありませんよね。
まだまだ幼く、「生きる」ために死なねばならない精神がまだまだあるように感じますが、霊魂を作るために与えられた人生90年。時間があるとは決して言えませんが、、まだある!今が大事だ。今!の私が上がるべき次元に、這ってでもあがっていきたい、そう感じる読書大会になりました。
今、生きてることの尊さを本当に心の底から悟ることを願って。
かずこ