こんばんわ!かずこです!
諸々すべきこともあるけれど、瞬間の機会をとらえてブログを書くことに!
一年前、「私と父」という題のブログを途中で止めてました。
続きを書かなきゃと思いながら、機械をつかめずにいたのですが、本日は父の日ですから。。
この日に書かなきゃ「私と父」のオチをいつまでもつけられないんで、このへんで。
前回のブログ、
昨年、、私が帰省するといえば、指を鎌で切り手術
大学時代、、部活のダンスの大会に県外にまで出て見に行くと言えば、屋根から落ち全身の骨が砕け全治〇〇か月…
私のために何かしようとしたときに、父の身に何かしら起きることが、この6年で2回も起こりました。
このことをどう捉えようか、、
父が私の代わりに何か罰を受けている??! そんな風にも考えてみたりもしましたが、、
(根拠がないところに妄想を膨らますのは置いといて)
私と父の関係を振り返ってみる。
我々は、幼い時の両親との関係が自分の人格や自分に対する肯定的な意識とかに
少なからず関わってきてると思うんですけれど。
そもそも私と父は、本当に関係性が悪かったです。劣悪。。
約6年は目も合わさず、口も合わさないことを決心して生活していました。
「お父さん」とも呼べず、、もっと酷い呼称で呼んでました。
聖書の中にも親を大切にしなさい、といった内容の聖句もありますが、完全に反していました。
だけど、大学時代に自分自身と深く向き合うようになり、自分の矛盾や歪み、異常性が、
どこか親との関係性、特に父親との劣悪な関係性が原因の一つとしてあるんではないかと疑うようになりました。
自分の内面を治すには、父親との関係性の回復をする必要があるのを感じ、岡山から実家に一年間だけ帰り一緒に時間を過ごしました。
一緒に過ごす中で、父の仕事熱心、自己管理、金銭管理、矛盾のない性格、論理に強い面など、父のことを少しづつ認めることができるようになっていました。
その次の年に私は岡山大学の院に行くのですが、みんなから反対された進学を父は後押ししてくれるようになりました。
(大学院に行きたい理由が理にかなってない面があり、自分でもなかなか決心がつかなかった。でもなぜか「「ダンスから離れてはいけない」「行かなきゃ」というインスピレーションのようなものが強くあり、それだけで行くことにしました。その頃は、そういう「勘」こそが答えだ!と思ってました。今思えばほんとおそろしい。だけど、自分も考えを変えられなかったし、そして自分のことを認めてくれなかった(と私は感じている)父に「一度でもいいから自分の思いを聞いてよ!!!」という思いがあったから、心を頑なにして進学することにしました。今は大学院に行った意味を悟るようになったからよかったですが、岡山に再び戻ったその日は、自分の幼さ故にここにいるんだ・・と自覚し、多額のお金を支払って進学させてくれた父に申し訳なくて大泣きしました。)
父の二つのケガの話に戻ると、、
ダンスしてた頃の父の人生の中で一番痛かった大ケガ。私は大会中に知らされたのもあったけど、大会後もほとんど気に留めませんでした。
心配もしませんでした。ダンスのことしか考えられませんでした。
昨年度の父の手のケガ。父のためにも、実家に帰って何かしたいと思えるようになりました。
父のことを大切に思える心を取り戻すことができて、本当によかったと思っています。
今日は父の日。
社会人にもなったし、無茶な生活もしないし、自分一人が生きるくらいは経済にも余裕ができたから
今年は父に高島屋で財布を買ってプレゼントを贈りました。
そして夕方に電話で「ありがとう。」と父が言ってくれました。
父が自分の口でわざわざ電話して「ありがとう」と言ったのは、もしかしたら初めてかもしれません。
父も言い慣れてない感じでしたし、私も言われなれない感じでどこか照れ臭かったですが、
よかったです。
生きている間に、自分のたった一人の父親との関係が回復して本当によかったです。
忘れてはいけない過去の記憶と
これからも大切にしたい父についてでした。
かずこ